コラム 【3月号】
● 今月のテーマ 〜「型と肚」〜先月号より続く
 
齋藤 「自然体」の中心はやっぱり「腰と肚」です。「自然体」を身に付けるには「型」や「技」の助けが必要ですね。

萬斎 じつは「型」は日常的に使われています。学校教育の現場では「起立、礼」という挨拶がありますよね。これは先生と児童との単なるコミュニケーションと捉えるのではなく、時間を切り替えるためのひとつの装置だと私は思っています。これは身体的に考えても十分に「型」と言えます。 狂言の世界でも特に稽古の始めの師匠へのお辞儀はすごく大事なものです。息を吸って、手をつき、礼をする際に息を止めます。その瞬間に身体的な集中力が一気に高まります。身体的にリラックスしている状況から瞬時に切り替わります。これも言うならば「型」のようなものでしょう。

齋藤 子ども達にとっては「切り替える」とか「開放する」といったことはとても重要ですね。

萬斎 いまキレる子どもたちが多いでしょう。何がキレるかと言えば、結局自分の中に溜まっていたストレスのようなものでしょう。それが一気に噴き出してくるのでしょう。その状況を言葉で表現するのに「堪忍袋の緒がキレる」という時に使う「キレる」という言い方を用いるのだと思います。

齋藤 昔からキレる子どもというのはいました。でもキレそうになると、周囲の人から「ハラ!ハラ!」と言われたそうです。誰だって自分の処理能力を超えたものが訪れると、一瞬にしてパーンとキレちゃいますよね。そうなる前に、一度気を落ち着かせるというか、張り詰めたものを上手く開放させてくれたようです。

萬斎 まさに「ハラに据えるかねる」という感じですかね。
市川 歌舞伎の世界では、先輩に教えを請うと「君の芝居は肚がないんだよ」と厳しい指導を受けます。その役の性根が分かっていない時に限って、上辺で演技をしてしまう。技術に頼ってやっていても、技術を後押ししてくれる「肚」がないと、ひとつの役となって存在し得ないということを、よく注意されます。

萬斎 演技の本質を指摘する言葉が「肚」という身体の中心に集約された言葉で表現されていることに、重みというか深さを感じます。「肚」という言葉もこれからの舞台芸術の重要なキーワードになるのではないでしょうか。

※萬斎 → 野村萬斎氏  齋藤→齋藤孝氏  市川→市 川右近 三氏の対談より抜粋
《MANSAI 解体新書 野村萬斎著》三氏の対談より抜粋
リトミック豆辞典
 音楽のリズム的要素はすべて、元来は人間の身体のリズムに由来したものである。しかし、何世紀も経ているうちに、音楽は人体リズムのタイプやコンビネーションをさまざまに多様化して、筋肉に起源をもつことを忘れてしまった。リズム学習の目的は、身体の自然なリズムを正しく導くことであり、その自動的発揮により、脳の中にきっちりしたリズムのイメージを創りだすことである。(ダルクローズ論文集より)
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