コラム 【2月号】
● 今月のテーマ 〜間の正体〜
 つねづね、動作の前後の呼吸や間合いを意識する事が多いのですが、以下興味深いお話をご紹介します。

萬斎 「間」について先人がさまざまな言葉を残しています。

「間は魔物である」という六代目尾上菊五郎さん。

「教えて出来る『ま』は『間』という字を書く。教えて出来ない『ま』は『魔』の字を書く」という九代目市川団十郎さん。

「時間(拍子)を、演劇的な第四次元空間と考えるならば、間は、さらにその先の、生理が精神の断面に喰い込む「瞬間」であり、日本人だけが見つけ出した「第五次元」の世界なのであった」という武智鉄二さん。

「日本の芸術全体にみなぎっている『芸術的時間』」という中井正一さん。

そして世阿弥。「せぬ所と申すは、その隙(ひま)なり。このせぬ隙はなんとて面白きぞと見る所、是は、油断なく心をつなぐ性根(しょうね)也。舞を舞い止む隙、音曲を謡い止む所、そのほか、言葉・物まね・あらゆる品々の隙々に、心捨てずして、用心を持つ内心也。この内心の感、外に匂ひて面白きなり」

難しくなってまいりましたけれども。この「せぬ隙」が具体的にいろいろなことを示唆している気がいたします。

茶の世界でも、たとえば、所作をしていない「間」のどこに心を置くのか?使っている手に対して逆の手をどう扱うか?というようなことを稽古事でうるさく言います。「間」の存在をそういうところに随所に認めることが出来ます。

池谷 無いものをただ無いとするのではなくて、一本筋が通った緊張感というか心配りというものが「間」を生み出しているのだと思います。そしてその「間」は相手が感じとることで成立することも重要なことだと思います。

※萬斎 → 野村萬斎氏  千 → 千宗屋氏  池谷 → 池谷裕二氏
《MANSAI 解体新書 野村萬斎著》三氏の対談より抜粋
リトミック豆辞典
 リトミックは音楽の諸々の価値を身体で表現することを目的とするが、この表現の形は、音楽に生命を与える感情自身が指示する心の中の身のこなしが自ずと外に表れ出たものにほかならない。
音楽と身体造形の共通要素は・・・
音の高低「空間における身振りの位置と方向」 音の強弱「筋肉のダイナミズム」
時価「持続時間」 休止「静止」 メロディー「個別の動きの次から次への発生」等

(ダルクローズ、リトミック論文集より)
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