つねづね、動作の前後の呼吸や間合いを意識する事が多いのですが、以下興味深いお話をご紹介します。
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萬斎 |
「間」について先人がさまざまな言葉を残しています。
「間は魔物である」という六代目尾上菊五郎さん。
「教えて出来る『ま』は『間』という字を書く。教えて出来ない『ま』は『魔』の字を書く」という九代目市川団十郎さん。
「時間(拍子)を、演劇的な第四次元空間と考えるならば、間は、さらにその先の、生理が精神の断面に喰い込む「瞬間」であり、日本人だけが見つけ出した「第五次元」の世界なのであった」という武智鉄二さん。
「日本の芸術全体にみなぎっている『芸術的時間』」という中井正一さん。
そして世阿弥。「せぬ所と申すは、その隙(ひま)なり。このせぬ隙はなんとて面白きぞと見る所、是は、油断なく心をつなぐ性根(しょうね)也。舞を舞い止む隙、音曲を謡い止む所、そのほか、言葉・物まね・あらゆる品々の隙々に、心捨てずして、用心を持つ内心也。この内心の感、外に匂ひて面白きなり」
難しくなってまいりましたけれども。この「せぬ隙」が具体的にいろいろなことを示唆している気がいたします。
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千 |
茶の世界でも、たとえば、所作をしていない「間」のどこに心を置くのか?使っている手に対して逆の手をどう扱うか?というようなことを稽古事でうるさく言います。「間」の存在をそういうところに随所に認めることが出来ます。
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池谷 |
無いものをただ無いとするのではなくて、一本筋が通った緊張感というか心配りというものが「間」を生み出しているのだと思います。そしてその「間」は相手が感じとることで成立することも重要なことだと思います。
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※萬斎 → 野村萬斎氏 千 → 千宗屋氏 池谷 → 池谷裕二氏
《MANSAI 解体新書 野村萬斎著》三氏の対談より抜粋 |