コラム 【9月号】
● 今月のテーマ 〜 母のこと 〜
 先月、先々月と2回に渡り父(清水崑)の話しをさせて頂きましたが、今回は母の事を少し… 30年程前に亡くなった母は、歌人(短歌)で歌集を6冊出版しています。勿論装丁、題字、挿絵は父の協力で、出版に当たっての選歌は父が赤ペンであれこれ印を付けたりして、夜ごと2人で考えたようです。

 コロナ禍で、極めて現実的な話題に日々接し疲れた心には、母の[歌集]を読み直して、別世界へ連れて行ってもらった気がし、心が癒されました。残念ながら、内容は私にはほぼ読み取る事が出来ないものの、事物をじっくりと眺め言葉と向き合って過ごすその作業が、とても新鮮に感じました。

 妻として母としての喜びや悩み、旅の折々の風景等、詠まれた6冊に上る歌集を手に取って眺めていますと、母の懐に戻ったような心温まる夏休みのひと時を過ごす事が出来ました。母の姉は俳句の世界では大変有名な俳人石橋秀野さんです。先日NHK BSの特別番組で、ご縁のあるさだまさしさん案内のもと、秀野さんご夫妻の事が私の従兄弟に当たる娘さん共々紹介されました。母の父親(私の祖父)が大変ハイカラ好きで(西洋風の身なりや生活様式をする様、人物、事物などを表す日本語の単語)母を合わせて4人姉妹は、長姉は女子医大卒業で女医さんに。母と秀野さんは文化学院へ入学。当時文化学院はハイカラな学校として話題になっていた学校で、講師陣は、与謝野鉄幹、晶子夫妻、高山虚子、山田耕筰等第一線で活躍する文化人達でした。当時母は北原白秋を慕い、短歌を見て貰ったそうですし、童話も書いていたようです。そのような恵まれた環境で、短歌に親しんでいったのだと思います。いっとき、大阪放送局に勤務して、児童向け番組で詩を朗読していた事もあるようで、4人姉妹は当時としては独立して仕事(女医、俳人、歌人、茶道の家元)をする女性に育てられたのですね。これは私達にも引き継がれたような気がします。

 父(清水崑)と結婚してからは、歌人でありつつ父の良き理解者として、常に父の側におりました。父の仕事が終る夜中から明け方近くなる迄、ああでもないこうでもない、と仕事の話で盛り上がり、毎日昼夜逆転の暮らしでした。そんな中でお互いに付けたあだ名が「粘りのお崑さんと付き合いのお恒さん」でした。しょっちゅお互いにそういい合っては喜んでいました。

 ちょっと風変わりな家庭だったかもしれませんね〜ご興味ある方は長崎情報webマガジンの「ナガジン 長崎 清水崑」で検索してみてください。清水家にまつわる興味深い記事が沢山紹介されています。中学生の私と家族や若かりし日の木久扇さんが一緒に写っている写真も見つけられますよ!
豆知識
定成淡紅子のテキスト …1990年6月15日 私の初めての教本が出版された日です。今から31年前…随分月日が過ぎて行きましたが、リトミックやリズム教育に対する情熱は、今でも変わりなく沸々と湧いています。リトミック・リズム・アンサンブル・ピアノに関わる教本を思いつくままに書かせて頂き出版して頂けた事を本当に感謝しています。これからも、思いついたこと、やってみたいこと等を本にまとめて行ければと思っています。ホームページのテキスト一覧を検索頂き、お手に取って頂ければ幸いです。
テキスト一覧
← 前月号へ 次月号へ →