コラム 【6月号】
● 今月のテーマ 〜詩情を感じる〜
 忙しい現代の生活の中に、ふと一瞬詩情を感じる時を持ちたいですね。
現代における数少ない「詩人」谷川俊太郎さんに聞いた、詩のあり方のほんの1部分ですが、ご紹介します。

 ー最近、社会のなかで詩の影が随分薄くなった気がするんです。
『詩が希薄になって瀰漫している感じはありますね。詩は、コミックスの中だったり、テレビドラマ、コスプレだったり、そういう、詩と呼ぶべきかだうか分らないもののなかに、非常に薄い状態で広がっていて、読者は、そういうものに触れることで詩的な欲求を満足させている』

 ーコスプレも詩ですか。
『“詩”には、二つの意味がある。詩作品そのものと、ポエジー、詩情を指す場合です。詩情は詩作品の中だけでなく、言語化できるかどうかもあやしく、定義しにくい。でも、詩情はどんな人の中にも生まれたり、消えたりしている。ある時には絵画に姿を変え、音楽となり、舞踊として表れたりします』

 ーことばじゃないものにも詩情があるということでしょうか。
『ぼくが生まれて初めて詩情を感じたのは、小学生の4年生か5年生くらいのころ隣家のニセアカシアの木に朝日がさしているのを見た時です。生活の中で感じる喜怒哀楽とはまったく違う心の状態になった。美しいと思ったのでしょうか、美しいということばだけで言えるものではなかった。自分と宇宙との関係のようなものを感じたんでしょうね』(sada)
リトミック豆辞典
 ダルクローズは、音楽を理解し、経験するためには、耳で聴いたものを受けとめ、脳からの指令に元ずいて各神経が反応し、身体を働かせることに気がつきました。筋肉でとらえたリズムと、刺激を伝える神経をより敏感に発達させることにより、耳で受けとめた音楽を身体で表現することができます。このため、筋肉の感覚を、第六番目の感覚としています。
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