コラム 【10月号】
● 今月のテーマ 〜人間を考える〜
 先日『地球上から突然人間が消えたら?』どうなるかというシュミレーションのTV番組を見ました。電気の供給が途絶えると、原発が止まり、水道管が破裂し都市は崩壊。時間と共に結局は人間の作った物は総て朽ち果て、残るのは緑豊かな自然と、そこで息づく動物や昆虫達… 緑豊かな地球が戻って来ると言う訳でした。我々人間は何をしているの?何を追い求めているの?愕然となりました。“人間”を考える文章を見つけました。

 いわゆる機械工業、能率、生産第一、植民地主義、近代社会が、いかに誇らしく見せかけていても、人間存在を空しくし、歪曲化してしまったことは確かだ。いま先進国と称する国の、第一線の都会で、いかに人々が暗い、空しい顔をしているか。ぼくはこの時点でこそ、逆の発想を展開すべきだと思う。人間本来、非合理的存在である。割り切れる面ばかりでなく、いわば無目的な、計算外の領域に生命を飛躍させなければ生きがいがない。ただの技術主義だけでは空しい。進歩、発展に役立つという、条件づけられた技術ではなく、まったく無償に夢をひろげていくこと。ナマ身で運命と対決して歓喜するのがほんとうの生命感なのだ。

 そのような全存在的充実感をとり戻すのでなければ、何のためのテクノロジーか、とぼくは思う。これはそのまま、真の生き方、人間性、つまり芸術の問題でもある。
『自分の中に毒を持て 岡本太郎著 より』(sada)
リトミック豆辞典
身体運動感覚能力… 子どもは自然に音楽に合わせて身体を動かします。身体を使って音楽を経験すると、運動感覚のイメージを使って演奏することもできます。即興的に演奏された音楽に従って動くうちに、「拍」や「リズムパターン」、「ダイナミクス」「テンポの変化」を身につけます。そして、私たちの行動の原点で、深いところにある最も本質的な応答である、内的な意思表示の形を具体的に表現することができます。(ダルクローズ関係の論文より)
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